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品川区の小・中一貫校構想についての疑問

法政大学 佐貫浩

品川区から出されている小・中一貫校の教育内容(教育課程)構想について、教育学的 に見て、多くの疑問を感じざるを得ません。

まず第一に、その9年間の教育を、4・3・2に区分するとしていますが、その教育学 的根拠が何も示されていません。今の小学5年生と中学2年生に、非行や登校拒否増加の 山があることを発達段階区分の理由にしていますが、これはどちらかというと、中学受験、 高校受験を前に、子どもたちが分断される時期である面が強いと思われます。いわば制度 的な矛盾のしわ寄せがここに現れていると考えるべきもので、発達段階をただちに示すも のではありません。

第二に、4年生までを<読み・書き・計算の徹底>、5年生からを<個性・能力の伸張 を図る学習>としています。しかし小学校の最初から有無をいわさず基礎をたたき込むよ うな形では、子どもの学習嫌いを克服できません。基礎を丁寧に教え、同時にその知識を 使い多様な活動を展開し、生活を豊かにし、作品や自分の意見の創造に発展させていくこ とが、一貫して必要です。また個性は、大きくなったら獲得するものであるというような ことは、全くの間違いです。各自の存在が、それぞれの子どもの取り結ぶ関係の中でかけ がえのないものとして受け入れられ、みんなから大きな期待を受け取るような存在になる ことが個性の中心的な意味です。小さいときから個性が守られ励まされることが必要です。 区の提起した教育課程編成案のような機械的区分論、段階論は、大きな間違いです。

第三に、四年までを<学級・学年集団を基にした活動>、それ以降を<異年齢集団を含 む多様な活動>と区分していますが、異年齢とは小学校の低学年と高学年、あるいは中学 生などが交流することですから、何故小学校の四年までに異年齢活動が組み込まれないの か、全く理由が不明です。

第四に、四年までが<学校生活への適応重視>で、それ以降が<学級集団と生活集団の 活用>と区分されているのも不思議で、教育学の原則を全く無視しています。四年までは しつけで、自治は四年からというのでしょうか。子どもの社会性は、子どもが対等な人格 として交わり合い、他者の人格を尊重し、他者の声に耳を傾けられるような力を獲得させ ていくことで育てられるのであり、それはまさに集団の教育力に依拠せざるを得ません、 学級や生活集団の教育力をどう引き出すかは、最初から非常に重要な課題です。

第五に、しかもこの教育課程は、当初の意図に示されたように、学習内容で「中学の先 取り」を小学校からやらせる構想と一体のものです。そういうエリート用の「高度」な内 容を教えることは、もし入学生徒を選抜するのでないとしたら、率直に言って落ちこぼれ を多く生み出すことにつながるのではないでしょうか。そうではないという根拠は、この カリキュラム構想の一体どこに示されているのでしょうか。また中学段階からこの一貫校 に入る生徒が、小学校から一貫校に学んできた生徒に追いつく方法はどういうものでしょ うか。そういう方法が根拠あるものとして示されなければ、この学校は結局落ちこぼれを 多く生みだし、おそらく学力到達度に応じたいくつかの差別的なクラスに近いものが生み 出される他ないものとなるように思われます。

最後に、この教育課程上の四・三・二の区分と、実際の生徒の年齢によるグループ配分 の関係はどうなるのでしょうか。六年生が一年生を含む六学年のリーダーとして全体をま とめる様な力を発達させてくることができる年齢段階であり、中学三年生がこの思春期の 激しい成長期の三学年をまとめる力を急速に発達させる年齢段階であるとの経験的な知恵 は、そう簡単に無視されて良いものではありません。小学校の1−4年生が、4年生がリ ーダーとなってまとめていけるような集団であるのかどうか、また8,9年生という受験 を直前にした2年間だけのグループが、自治集団として有効なのか、相当慎重に考える必 要があります。そもそも9歳の差を含んだ集団を一つにまとめて動かし得ないとするなら、 この小・中一貫校は、どういう生徒の学年によるグルーピングを考えているのか自体、未 だ何も明らかにされていません。

以上のような教育学的根拠の曖昧な構想を、きちんとした教育学関係者の検討もなく、 ただ、教育を格差化し、エリートを生み出す学校を作り出すために強行することは、大き な混乱と禍根を生み出す道であると思います。慎重な検討が求められます。

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