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品川区の小・中一貫校について

2002年06月22日法政大学佐貫浩

1.はじめに

品川区に小・中一貫校が全国で初めて導入されようとしています。そしてその理由、根拠については、「小中一貫校開設準備ニュースNo.1」に、次のように書かれています。

「小学校から中学校に進学する段階での子どもたちの現状を見ると、夢と希望をふくらませ、新たな再スタートを決意する反面、学校における生活上の決まりや学習内容、指導方法などに大きな違いがあることから、不安やとまどいを感じ、心理的ストレスとなる子どももいること、また、小学校で認められた個性や能力、興味・関心を継続してのばしにくいなど、課題があることも指摘されています。/これからの公立学校には、活性化、多様化を目指し、各学校がさらに特色ある教育活動を展開し、一人ひとりの能力や適性をのばす柔軟な教育への転換を図り、自らにふさわしい生き方を実現するために必要な教養を身につけられるようにするとともに、小学校と中学校が共通の学力観に基づく継続的な指導で学力の向上と心身の成長を図ることが期待されています。/そこで、小学校からスムーズに中学校生活になじめる学校を目指し、9年間を見通した連続性・継続性のある教育活動のなかで、確かな学力を身につけるとともに、一人ひとりの個性や能力を伸ばしていく小中一貫校を開設することにしました。」(アンダーラインは引用者)

これで見ると、一貫校設置の理由は、(1)小中の学習や生活の「断絶」を無くしてスムーズに移行できるようにする、(2)個性や能力、興味・関心を継続して伸ばす、(3)共通の学力観で指導する、という3点にあるということになります。

しかしこのようにいうことは、率直に言って、二重の意味で、この小中一貫校の真のねらいを、偽るものといわざるを得ません。第1には、誰が見ても明確なように、小中一貫校の設定は、他の小、中学校とは区別された、特別な教育条件と指導方法を持った、すなわち他の学校と格差化された特別校、特別に設備やスタッフの点で優遇された学校を作り出すものであるという点を曖昧にしており、第2に、ここでいわれている一貫校設置の「理由」、メリットについてみるならば、一貫校という制度によってそれらの点がより良く実現されるというその教育学的根拠が、ほとんどなにも示されていないことです。

この構想の中心になっている若月品川区教育長は、「小学校の教員がもっている指導観と、中学校の教員が持っている指導観や生徒観とがあまりにもかけ離れている」、といい、中学は受験のための一方的な教育になり、「規則や力で型にはめ」る教育になっており、また小学校は、「勉強が遅れている子どもを残して勉強を教えることは、子どもに劣等感や差別感を持たせてしまうという危惧を強く持ち、そうしてこなかった結果、中学で授業がわからない、ついていけないという子どもを生んできた」と述べています(「小中高一貫教育を目指す」『論座』2002−3月号、朝日新聞社)。そして小学校と中学校の教師を一貫校というシステムで出会わせ、交流させることで、互いの弱点を克服し、教育が改善されるかのように述べています。しかしこのような指摘は、あまりにもいい加減な放談に過ぎません。もちろん中学が受験教育の圧力の下で、詰め込みや管理主義に陥っていることは事実です。しかしそれを小中一貫にして、小・中の「利点」を生かせれば解決するというような問題ではないでしょう。高校受験の圧力をどう緩和するのか、中学での子ども一人一人に目をかけられる教師の学習指導と生活指導の体制をどう保障するのか、小学校から落ちこぼれを生み出さないカリキュラムや丁寧な指導方法を研究・開発し、実践していく自由とゆとりある教師の体制をどう作り出すか、等々を抜きにして、小中一貫があたかも打ち出の小槌のように、すばらしい教育効果をもたらすかのようにいうことは、具体的な証拠に裏打ちされたものではなく、行政の責任者として、全く無責任な発言というべきものです。

これらの問題点について、以下で、いくつかの点に分けて検討していきましょう。

2.小・中一貫校の利点はあるのか

品川区は導入に当たって、小中一貫校のメリット、効果をいろいろな点で強調しています。しかしこれについては、慎重な吟味が必要です。なぜなら、小・中一貫校として構想されている学校は、次のような点で、それによってもたらされる「利点、効果」の性格を区分して把握する必要があるからです。

大きく分けて、第1に「特権性によるメリット、効果」、第2に「選択制によるメリット、効果」、第3に「小中一貫によるメリット、効果」がない交ぜにして説明されているからです。それぞれについて、それがどういうメリットなのか、本当に効果が期待されるのか、逆に問題点はないのか、等を吟味していく必要があります。

(1)特権性によるこの学校の「メリット」

品川区のプランによると、この小中一貫校は、他の学校には許されていない特権的なメリットが保障されています。具体的には、(1)デラックスな設備、校舎、(2)特別力量のある教員を公募して、しかも他の学校の教員と同じような移動は適用されない、(3)学習指導要領の「最低基準」には縛られないで、高学年では「中学の先取りといったものを少しづつさせていくこと」(若月教育長)、などの点が指摘されています。従って当然(4)他の学校よりも多い予算配分が前提されていると見ることが出来ます。(5)またおそらく他の学校よりも手厚い教員の配置が行われるのではないでしょうか。これらの点は、小中一貫校であるから必然にもたらされるメリットではなく、特権的なエリート校として処されることによってもたらされるものであると見ることが出来ます。そして実は、今回の小中一貫校の最大の意図は、学校を「多様化」して、公立の義務段階の学校を複線化し、その一部をエリート養成校として格差化ようとすることにあるのではないかと思われます。

しかし一部の学校にだけ、このような特権を与えることで学校間に格差を付けることは、大きな不公平を生み出すことになります。その意味では、この小中一貫校構想は、一部の地域や一部の子どもに、より有利な教育を提供できるという「魅力」でもってこの学校を「選ばせ」、日本の義務教育の基本理念、どの子どもにも、その社会で可能な最大限の教育保障を、すべての子どもに「平等に」与えるという基本理念を、なし崩しにしようとするものといわねばならないでしょう(念のために補足しておきますが、ここでいう平等の意味は、教育の中身を機械的に同じにするというような矮小な「平等」という意味ではなく、教育のために社会の資源を平等に子ども達に分かち与え、発達を保障する教育を、差別することなくすべての子どもに等しく保障するという意味です。)それは日本で最初に、小学校を格差化し、複線化する第一歩を品川区が先鞭を付けるという危うい試みといわざるを得ません。そして学校に格差を付けておいて親に「学校選択」させ、定数を超える部分は何らかの形で振り落とすというような仕方は、義務教育段階では許されないものだと思います。

(2)選択制がもたらすこの学校の「メリット」

この学校はあたかも地元にメリットをもたらすような宣伝がなされていますが、果たしてどうでしょうか。どうも、この学校には、大幅な選択制が導入され、品川全区から「優秀」な生徒が応募してくる制度を考えているように思われることです。

後で見るように、地元の生徒に対して一定の優先入学制度が加味されるとしても、従来の学校よりは大きな規模で選択制が組み込まれる事は避けられないでしょう。一貫校の中学の学級数が現在の日野中よりも1学級(当面5学級とされている)多く設定されていること、また小学校段階で3クラス(第二日野小は現在1クラス)から見ても、そう考えることが出来ます。選択制が大幅に導入されるとすると、この学校は、急速に他の学校との間で格差化されていくものになるでしょう。普通の中学よりも高い教育内容を教えるカリキュラムを持った学校ということで、品川区全体から応募する数が増えるとすれば、そこに応募する生徒の家庭は、平均的に見ればどうしても経済的・文化的に階層の上位の家庭となっていくでしょう。すると、入学選抜方法が抽選であっても、この学校の生徒は、階層の高い家庭の生徒が多くなっていくでしょう。ましてや選抜制になればその変化は急速です。(若月教育長自身は「私個人としては、選抜試験も一つの方法だと思っています」<前出『論座』2002−3月号>と述べている。)

このことから予想されるのは、この小中一貫校は、いずれにしても、今の品川区が導入している学校選択制の中で、優秀な生徒によってより強く選ばれるという力学の中におかれ、次第にエリート校としての位置を確立して行くに違いないと思われることです。それは選択制により学校が格差化されることによって一部の学校に与えられるメリットであり、そしてそれに反比例して、他の小学校や中学校が、不利な位置に置かれるという格差化が、今までよりも一層急速に進んでいくのではないでしょうか。

第3の点、すなわち小中一貫という制度それ自体によってもたらされるというメリット、効果なるものについては、節を改めて検討しましょう。

3.小中一貫による教育上の効果は本当にあるのか

今見たような特権のメリットや選択制度の中で格差化され上位に位置付いてくることからもたらされる「効果」を別にした場合、小・中一貫校という制度形態が固有に教育効果を上げるという点は、本当に明確になっているのでしょうか。これらについて、順に検討していきましょう。

(1)前提

最初に、基本的な考え方について、述べておきます。私たちは、小・中の教育の連携については、非常に重要な視点であると考えています。また6・3制についても、それが永遠不変のものではなく、将来的には5・4制などのバラエティーも検討の対象になると考えています。しかしその問題を検討する上では、いくつかの基本的な視点を踏まえる事が必要であると考えます。それは、小・中連携については、どのようなあり方がのぞましいのかについて、教育実践上の試行錯誤を自由に展開する中から、制度的可能性を探っていくべきだという点です。それは次のような理由によっています。

第1に、現時点では、小学校6年間、中学校3年間という区分された学校制度よりも小中一貫という制度のほうが望ましいという明確な教育学的な知見も、親や国民の合意も存在していないということです。小学1年生から中学3年生という9歳の年齢の格差は、相当に大きなものがあります。子どもの発達段階にも大きな違いがあります。小中一貫校といっても実際には、その内部に小学部と中学部のような区分をつくらざるを得ないでしょう。生徒の自治組織にしても、少年期の自治と思春期の自治には、大きな開きがあります。この9年間を6,3で区分することで、小学校の5,6年生のリーダー学年としての自覚がより刺激されるという点も無視できません(小学校6年生の時のリーダーとしての誇りを味わったことのある方も多いでしょう)。その点では、一貫校といっても何をどのように連結するのかは、慎重な教育学的な検討、実験的試行錯誤が必要であり、それなしに性急に一貫校を実現する合意は、未だ形成されていないと見るべきではないでしょうか。

第2に、どうもこの学校の最大のねらいは、若月教育長自身が述べるように、「中学校の先取りといったものを少しずつさせていくこと」というカリキュラムの特徴にあるようですが、それが本当に教育的なものとして可能なのかどうか、その根拠が曖昧なことです。もしそういう特別教育を実験する学校になるならば、果たして選抜されて集められたものでない生徒たちみんながそれについていけるという保障はあるのでしょうか。おそらくそれは相当困難でしょう。そうすると学校内における差別的なクラス編成が、一層くっきりと現れざるを得ないのではないでしょうか。今普通の学校でも多くの落ちこぼれが問題になっているのに、小学校6年生で中学1年の授業を目指すような学校をつくって、それでも落ちこぼれが多くならないという学校を作り出すどんな方法があるのでしょうか。特別優遇された教員配置でしょうか、選択によって優秀な生徒を集めるという方法でしょうか、一部の生徒だけをそういう優秀なコースを選ばせるという学校内部での複線化でしょうか。いずれにしても、それは大きな問題や矛盾を引き起こしかねないことです。

第3には、小・中一貫教育の実験は、学校の複線化、格差化という文脈とは切り離して行うべきものです。複線化・格差化の一環、あるいは先に述べた特権化の一貫としてこれを実施すれば、小・中一貫という実験の如何にかかわらず、このような学校への希望が殺到し、たちまちの内に、義務教育は複線化されていくでしょう。そういう道は絶対避けるべきです。またそれは、6・3制にかわる9年一貫制や5・4制の効果を実験的に明らかにすると言う目的を果たすこともできなくなってしまうでしょう。品川の小中一貫構想は、将来のための実験的試行錯誤によって小中一貫のメリットをさぐるという段階を飛び越えて、したがってそこに本当のメリットがあるかどうかの確証なしに、したがってまたどんなデメリットがあるのかについての検討もなしに、強行されようとしている政策的な賭ともいうべきものになってしまうでしょう。

第4には、現段階で小・中一貫教育の実験的な試行のために必要なことは、(1)地域の小学校と中学校との緊密な共同研究によってその可能性を探っていくこと、(2)カリキュラムを学校が主体となって決定していくことの出来る教育課程編成の自由のもとで、小中の垣根を越えて、教育課程案を多様に作りあっていくこと、(3)校長、教師たちがその地域の教育に10年の視野で責任を負っていくことの出来る教員配置制度を保障すること、(4)学校が地域に根ざし、親が子どもの発達・成長を小・中を貫いて見通していけるような、学校と地域との連携の形成、それを可能にするような地域の親・住民参加による地域教育協議会を設け、一貫した子育てと教育の地域構想を作り上げていくこと、等でしょう。決して小中一貫学校の設置を急ぐような状況にはありません。

第5に、義務教育を保障する責任を負う自治体が、それをどのような学校制度によって保障するかということは、法の定めと親・住民の合意によって決定されるべきものです。学区制度を前提として、今までにない学校をつくり、その学区の生徒の大半がそこに進学するという下では(たとえ選択制があるといっても大半が地元へ進学するというのが、学区制というものの基本である故に)、学校をどう改編するかについては、親、住民の合意を必要とするというのが当然の論理です。今回そのような手続きがとられていないことは、行政の説明責任という点からも、民主主義の基本ルールからいっても、根本的な欠陥、誤りというべきものです。子どもの入学する学校が大きく変わるのを当の親や住民があずかり知らない間に決めるというようなことは、許されるものではありません。今回の経過を見るときに、この学区での親・住民の合意として、小中一貫校を希望するという合意は、何処でもつくられていません。そのことが大きな不安や混乱を生み出す大きな原因になっています。

(2)小中一貫校の「メリット」は本当に根拠があるのか

以上のような前提を踏まえてみると、純粋に小・中一貫校という制度のもたらす明確な教育上の「効果」というのは、それほど自明のものではなくなってきます。

品川区は、先にも指摘したように、一貫校設置の理由を3ないし4点挙げていました。これらについて、順に検討していきましょう。

小学校から中学校への「渡り」の不安

第1に、「小・中の違いがあって、中学にはいるときの緊張(不安、とまどい、心理不安)が大きい状況があり、この『渡り』を抵抗のないものにする」という論拠です。しかしこれはあまり根拠のない主張です。この不安は、1つには、少年期的な関係を超えて、新たに思春期の仲間関係を作り出すに当たって、いじめなどが広がっている中で、多くの子ども達が直面している困難です。小中一貫校であっても、少年期的なグループと思春期グループの垣根は存在しているのであり、それに対応した生徒の自治組織も異なったものとして組織される必要があるのではないでしょうか。確かに特に中学があれていたりいじめが広がっているときに、その不安は一層拡大されます。しかしその不安は、中学の生徒たちの間での自治の形成、民主主義の確立、協同的な仲間づくりによって克服されるべきものです。小学生の間の仲間関係が、そのまま思春期の関係に引き継がれるものではありません。一貫校であっても中学部にいじめや暴力が広がるならば、子ども達の不安はかえって大きくなってしまうかもしれません。また中学の管理主義が問題だとするならば、それをどう克服するかを、中学としての取り組みの中心に据えるべきでしょう。それなしに小中一貫であれば中学の管理主義が消えるかのようにいうことは何の根拠もありません。

不安のもう1つの根拠は、中学校が高校入試の直接の圧力にサラされて、受験準備教育に追われざるを得ないことによっています。それは小中一貫にしたからなくなるというものではありません。場合によっては、一貫校ではその圧力がもっと下へ降りていく可能性もあるのです。

中学で個性が伸ばされない?

第2に、「小学校で認められた個性や能力、興味・関心を継続してのばせない状況」とはいったい何を指すのでしょうか。受験の圧力と言うことでしょうか。中学教育の現状は、確かに個性を抑圧する困難が集中していると言っても過言ではありません。しかしそれは、(1)差し迫る高校受験の圧力、(2)ゆとりのない教師の側の労働条件、(3)いじめや暴力に対して、管理強化で対応する結果としての取り締まり主義、等が中学教育に特に集中しているからです。これらの問題をどう解決するかを抜きにして、ただ小中が連続すればその問題が解決できるように言うのは、これまたほとんど根拠がないと言わなければなりません。なお、「個性」を伸ばす教育とはどのようなものかについては、後で検討します。

「共通の学力観で指導できる」?

第3に、「9年間の連続性・継続性のある教育活動、共通の学力観にたって指導できる」という点はどうでしょうか。この点で、今一番問題なのは、(1)公立の義務段階の教育の継続性や一貫性を奪っているのは、なによりも教職員の教育についての自由な議論を土台として獲得される学校の自主的な教育理念や学力観、教育計画の確立が抑制されていることです。特にこの間、文部科学省の学習指導要領や「ゆとり」教育に関するまるで朝令暮改の頼りない方針変更と、それを機械的に現場に強制しようとする行政によって、学校は大変な混乱に追いやられているのです。また、(2)教師(特に校長)が数年で学校を変わり、地域に根ざした長期的な教育計画をもてなくなっていることも重要です。さらに、(3)高校受験の圧力が、特に中学での学力観を大きく歪め、小中一貫という形で両者をつなげたとしても、逆に受験の圧力を下(小学段階)に及ぼす結果に陥ったのでは逆効果にもなりかねない困難があります。加えて、(4)教育観、学力観の一貫性は、9年一貫校の学校の校長たちトップの理念で強引に統一されるべきものではなく、地域との合意の中で作られていくべきものです。

さらに率直に言って、9つの学年にわたる教育を一貫した理念で統一すると言うことは、言葉では言えても、実際には至難の業であり、いくつかの発達段階のブロックに区分しつつそれらを統一していくという事が現実的でしょう。教育や学力観の一貫性は、、地域、親、教職員、一定の区分された発達段階毎の質的に異なった教師の仕事の間の協同としてこそ、したがって長い間の討論と協同を踏まえてこそ達成されるべきものと考える必要があります。一貫校だから統一ができると言うほど簡単なものではありません。

1つ補足しておくべき事は、実は、学校選択制というのは、小学校と中学校とのつながりを断ち切る方向で作用しているという現実を見ておく必要があります。小中の連携を言うならば、1つの地域、中学校学区の中で、小学校と中学校がどう協力しあっていくかが不可欠ですが、それは地域に自分たちの学校をどうつくっていくかという地域に根ざした学校づくり、小学校と中学校との協力による地域の一貫した教育システム作り、そのための親・住民の参加が不可欠です。しかし選択制は、その地域の学校に困難があれば、別の学校を選ぶことでその困難と向き合う努力をパスすることで、地域の教育の困難が放置される力学を生み出してしまうのです。

教育内容を先取りして学力を挙げる?

第4に、「中学校の先取りといったものを少しずつさせていくこと」(若月品川区教育長、前出『論座』)と述べている点は、果たして「利点」なのでしょうか。ここにはまさに組織的にエリート校を作り出す意図があけすけに述べられているのではないかと思います。確かに、9年一貫でカリキュラム達成度を高めて、8年で中学までの内容を終えるようなプログラムを設定して、それに耐えられる様な生徒を選抜で集めるというような特別なエリート校をつくることは可能でしょう。しかしそういう先取りが、特別に優秀な生徒を集めるのでない場合に、生徒一般に可能だという根拠はいったい何処にあるのでしょうか。内部に恒常的な到達度毎のコースを設けるのでしょうか。それは果たして、教育的に見て妥当なことでしょうか。小中一貫校の利点としてそのことを本当に挙げるのであれば、いったいどうやってそれをを行うつもりか、きっちりと説明する責任があるのではないでしょうか。

以上、4つの点を見てきましたが、小中一貫という制度の純粋に教育学的なメリットとは、現時点では、はっきりと指摘することはほとんど困難でしょう。小中が深く連携し、また小中を含んで地域の教育を縦につなげて考える地域教育協議会が組織されるならば、小中の連携は相当なレベルで実現できるのではないでしょうか。

世界的に見ても、初等教育と中等教育の9年間を1つの学校につなげることが教育的効果を上げる方法だという論理は決して常識とはなっていません。そういうこともあわせて考えると、この小中一貫校は、特別な特権校を作り出すために案出された非常に性急な、そして教育学的な根拠が曖昧な、危うい試みだと言わざるを得ないように思います。

(3)小・中一貫校から起こってくると予想される問題

では少し視角を変えて、もしそういう小中一貫校が作り出されたときにどういう問題が実際に起こるのかを、以上の指摘に加えて、若干の点で、補足しておきましょう。

(1)小学校入学段階での学校選びの不安と「選択」競争
学校選択制というものがそもそもそういう問題性をもっているのですが、地域に特別な施設、「特別」の教師、特別のカリキュラムと言う「魅力」をもった学校が出現すれば、当然の事ながら、多くの親がその学校へ子どもを入学させることを望むことになるでしょう。しかもこの学校は、品川区全体に門戸を開く特別の位置づけをもっているというのですから、どうしても周りの小学校に大きな影響を与えるに違いありません。特に日野中学に進学する学区で、第二日野小以外の生徒は、中学進学段階で、この中学には入れるかどうかや、また進度が違っている状況でついていけるか心配だというような点で、小学校入学段階で第二日野小を「選択」する希望が増えるのではないでしょうか。しかし「定員」があれば、「抽選」できられてしまうことになります。こういう親の不安や混乱が起きるのは避けがたいのではないでしょうか。

(2)周りの小学校へおよぼす深刻な影響
新設の一貫校は、クラスを3つにする予定だといいます(移行の初年度は1クラス)。現在の第二日野小は1クラスですから、小学校段階の2クラス分は、他の小学校の学区からの選択で募集すると言うことになります。そうすると日野中に進学するブロックの小学校(第二日野小を除く)の学区から、およそ2クラス分の生徒が、小学校入学の段階で、一貫校に選択でもって学校変更して移動入学してくることになります。それは当然、周りの小学校に入学する生徒の急速な減少をもたらし、場合によっては統廃合を余儀なくされる事態が生まれる可能性があります。

(3)日野中学校の通学区域の生徒は、希望すれば中学段階でこの小中一貫校に入学できるとなっていますが、もし小中一貫校が特別なカリキュラムなどを組むとすれば、中学段階でそれになじむのは、相当ハードなことになるのではないでしょうか。もし習熟度別のコースわけなどが組み込まれているとすると、中学段階で入った生徒は、より大きなハンディーを余儀なくされると言うことも予想されます。少なくとも中学段階で増える1クラス分の生徒にとっては、区の言うスムーズな小学校から中学校への移行という一貫校が、逆にもっと大きな不安を与えることにもなりかねません。

(4)教師は、他の学校の教員と同じような待遇を受けるのか、学校間移動をするのかしないのか、等々の問題が直ちに生じます。一貫校の専任という形で「公募」するとすれば、ほぼ確実に一般の教員とは異なった、特別待遇教員が生まれることになります。待遇の平等性という点から見ても、新たな問題が起こるのではないかと考えられます。

4.個性と多様化、格差化について

最後に、小中一貫校を設ける理由の1つにもなっている子どもの個性の実現と言うことについて、考えて見ましょう。

最近の教育改革の理念につて、「個性化」、「個性の実現」ということが強調されています。そしてそれを実現するための方法として、学校の多様化が主張されています。文部科学省サイドから改革を推進する多くの論者が、「日本の教育では平等が強調されすぎていて、日本の教育が画一化している」と批判し、画一を脱し、子どもの個性を伸ばすには、小・中の段階から学校と教育内容を多様化、格差化し、競争によって能力、個性の違いを早くから見つけ、異なった教育をしていくことが必要だと主張しています。

しかしそれは個性観の矮小化です。彼らのいう「個性」とは、差異、他人との違い、他人より優れた能力の所持のことです。しかし、個性は単なる他人との差異ではありません。個人が自分の目的を持ち、それを達成しつつある実感をもって自分の存在のかけがえのなさを自覚できる状態が個性の実現を意味します。ですから、自分の目的、願い、ここを高めたいという要求を育て、主体的に学習に取り組むことが個性発達の基本的筋道です。同時に、人との結びつきの中で、それぞれの存在をかけがえないものとして認めあい、支え合っている状態が個性が実現されている姿です。他者とのつながりの中でこそ個性は実現されます。そして自分の役割や課題の自覚に応えて能力を磨き、みんなのなかで役割を果たそうとする努力が、一人一人異なった能力を高め、その人固有の人間の輪を拡大し、能力自身の個性的発展を促していくのです。

ところが、小・中学段階で子どもを選抜し、コースに分ける教育を行えば、その選抜の基準にあわせてある能力を訓練する競争が生まれます。しかし小さい子どもには、なぜその能力が必要なのかを、自分の内側の論理や要求として把えることは非常に難しく、結局競争に勝ち、他者より優れていること自身に誇りを見出すという競争的な論理で、学習を目的化することが多いのです。そこでは、個性の核心である子ども自身の願いや要求や関心が、競争の論理に置き換わり、実はそこから画一性が広がるのです。そして他者より優れていることへの脅迫的な競争が、同じ内容をすこしでも沢山獲得する画一的なベースで昂進するのです。彼らの言う多様化は、この競争を多様な領域で行うことに他なりません。

もちろん後期中等教育(高校)段階では、将来の職業選択と結びついて、多様な学習コースへの分化が必要です。しかし小・中学段階では、共通の学習内容が大きく、またコース化は差別化を伴うために、出来るだけ共通のコースで学ぶのが、日本だけではなく世界的な教訓でもあります。小・中段階でコースを分けなければ個性は実現できないという論理は、決して教育学的に承認されたものではありません。

また、共通の学習の上に展開する個別の発展的学習要求に応える丁寧で幅広い指導力、指導の時間的な余裕、教師のゆとりが不可欠です。能力差による授業の困難は、能力別に学級を分ける方向でなく、おくれを取り戻す特別な手だて(その一環として習熟別の指導も位置づけられるべきものです)を講じて解決すべきものです。30人学級、さらには20人学級の実現はその大前提です。

また、学校を画一化してきた教育行政の改革こそ、子どもの個性実現にとって避けられない課題です。直接、最前線で子どもと苦闘する教師と学校に、自由な発想や実践の自由が保障されなければ、個性的な教育など生まれようもありません。今まで、管理職を選ぶ基準が、優れた教育的力量より教委や行政への忠誠におかれてきたため、校長の教育的指導力が乏しく、学校の教育力を貧しくしています。新しく導入されてきている人事考課制度も、校長の意図に忠誠を誓う教師を生み出すものとして機能しつつあります。そういう学校と教師の自由を奪い、創造性を抑圧するシステムが、学校教育の危機を拡大しています。学校教育の個性的な発展のためには、それらの欠陥をこそ改める必要があります。

特権的な学校を作り出すこと、学校を格差化し、生徒を早い時期から能力に応じて区分(格差化)することが子どもの個性を実現する方法であるというのは、大きな間違いです。

これらの問題を含めて、今子どもの学ぶ意欲、仲間同士で共に生きていく力を回復するために、学校制度をどうしていけば良いのか、小中一貫校という構想がそういう願いにどういう効果をもたらすのか、もたらさないのかを、慎重に、丁寧に、検討していく必要を強く感じます。

<参考>一貫校開設準備ニュースNo.1

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